「巨人の4番」岡本和真が成功し清原和博氏が失敗したコト
プロ1年目のシーズンオフ、新人王を取った清原氏は球団に選手寮から出る許可を求めた。成績(打率3割4厘、本塁打31、打点78)から見れば一人前だが、当時の根本陸夫管理部長(1926~1994年)は「社会の迷惑になる」と認めなかった。退寮させたら、遊び回って野球に身が入らなくなり、問題を起こすのでは、と心配したからである。
西武時代のある年、清原氏は出場したオールスター戦で大活躍。MVPに選ばれ、賞金200万円を獲得した。試合の後、清原氏は球宴に出場した仲のいい選手とネオン街に繰り出し、クラブを何軒もハシゴ。賞金をひと晩できれいに使い切ってしまったそうだ。
「男気」清原氏らしい話だが、その代償として失ったものもあるのではないか。ちなみに清原氏のプロ22年間の通算本塁打は525本である。
▽富岡二郎 スポーツジャーナリスト。1949年生まれ。東京都出身。雑誌記者を経て新聞社でスポーツ、特にプロ野球を担当。