<5>主将を後輩に…「これでダメならピッチを去る」と覚悟
お世話になった人々への感謝を忘れず、絶対に恩返ししたいと考えるのが、この男。その姿勢は終始一貫していた。中村憲剛(川崎)や川島永嗣(ストラスブール)ら日本代表の先輩たちも「篤人から事前に連絡をもらっていた」と口を揃えたが、その義理堅さも愛されるゆえんだろう。
平成生まれの選手たちは、年長者を<君づけ>する者が大半を占めるが、ギリギリ昭和生まれの高校サッカー出身者である内田は「さんづけ」に徹した。その古風で律義なところも大きな魅力。老若男女から支持される稀有な存在を失ったサッカー界のダメージはやはり大きい。今後はご意見番でも指導者でもいいから日本サッカー発展に貢献してほしい。 (おわり)
■うちだ・あつと 1988年3月27日生まれ。静岡・函南町出身。清水東高から2006年に鹿島入り。クラブ史上初となる高卒ルーキー開幕スタメンを果たし、プロ初得点を17歳11カ月22日で決めた。J3連覇の立役者となり、10年7月にドイツ1部シャルケに移籍。10―11年シーズンの欧州CLでは日本人最高位となるベスト4入り。18年に鹿島復帰。20年8月20日に引退を発表した。08年1月に日本代表デビュー。W杯は10年南ア、14年ブラジルと2大会連続メンバー入り。A代表74試合。