<5>主将を後輩に…「これでダメならピッチを去る」と覚悟
「俺が普通のプレーしてたら代えられるでしょ。ホントに俺が悪いよ」
2019年10月の松本山雅戦。前半だけで交代を命じられた後、内田篤人は理想像とは程遠い自分自身に悔しさを爆発させた。
敵将だった08年北京五輪代表の恩師・反町康治監督(日本サッカー協会技術委員長)も「篤人は膝の状態が良くないんじゃないかな。厳しいな」と顔を曇らせたが、この頃から引き際を考えていたのかもしれない……。
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■古風で律儀
2018年1月の鹿島復帰後は<常勝軍団にタイトルを取らせること>を常に念頭に置いた。
同年前半戦は「剛さん(大岩監督)も自分のロシアW杯行きを後押ししてくれた」と本大会前の4~5月は立て続けに先発したが、落選後は1カ月以上プレー間隔が空くことも少なくなかった。
それでも10月のアジアチャンピオンズリーグ・水原三星戦で貴重な逆転弾を挙げ、アジア制覇に貢献。FIFAクラブW杯にも出場し、「あの人、カッコいい」と憧れ続けた小笠原満男(鹿島アカデミーダイレクター)の引退を隣で見送ることはできた。