古賀稔彦さん53歳死去 本紙に語った“新しい師匠”の存在
1992年バルセロナ五輪の柔道金メダリスト、「平成の三四郎」こと古賀稔彦さんが病気のため24日に死去したことが分かった。53歳だった。今年開催予定の東京五輪では、聖火ランナーに選ばれていた。
NHKの同日の報道によると、古賀さんは昨年がんの手術を受け、療養を続けていたという。
古賀さんは1967年、佐賀県生まれ。中学進学と同時に上京し、世田谷学園高校から日本体育大学に進学。1989、91年には世界選手権を制し、「平成の三四郎」の異名を取る。1992年のバルセロナ五輪に出場し、大会直前に大けがを負いながらも金メダルを獲得。96年のアトランタ五輪でも銀メダルに輝いた。
2000年に現役引退後は子どもの人間育成を目的とした道場「古賀塾」を開塾したり、日本女子チームの強化コーチを務めるなど後身の指導に当たっていたが、当時、古賀さんは日刊ゲンダイのコラム「私の秘蔵写真」(2011年2月28日付)で“新しい師匠”について語っていた。
伝説の女子柔道家・福田敬子さん(当時97)のことで、福田さんは女子初めての9段で、1964年の東京五輪ではエキシビションで演武を披露。講道館柔道の創始者・嘉納治五郎から「柔道の国際的普及のため、将来は外国で指導してほしい」と依頼され、1966年に渡米を実現した。