松山英樹「東北への秘めた思い」東北福祉大の阿部監督語る
「英樹は高卒でプロに行っても(国内では)活躍できる。しかし、世界で戦える松山英樹になってほしい。そのための4年間として、ウチに来てほしい」
説得を受け、この一度限りの面談で松山の進路が決まったのだ。
「お母さまも『英樹、あんた、大学へ行き』と後押ししてくださいました。当時の身長は今の182センチとあまり変わりませんでしたが、体重は20キロも少ない70キロほど。だから、まずは体づくりということで、『人の倍ではダメだ。3倍、5倍食べなさい』と。もちろん、トレーニングも他人の何倍もするように言いました。松山は全てに勝ってきたわけではないし、学校別の大会では補欠に回ったこともある。その都度、改善点を探し、黙々と自分が納得するまで突き詰めて練習していた。今でも、大会期間中だって『ゴルフ場に最後まで残って練習しているのは松山だ』と言われているでしょう」
大学時代はゴルフ漬けというわけではない。阿部監督は常々、部員に対し「ゴルフだけのやつになるな」と言い聞かせ、サッカーやボウリング、テニスなどあらゆるスポーツを経験させた。その中でも特に「英樹は野球が大好きで、アメリカにグローブを2つ持っていって、いつでもキャッチボールできるようにしている」(阿部監督)そうだ。