吉田麻也「3回も出て1回もメダルを取れないのは情けない」
「あいつを入れるかどうかで3日3晩悩んだ。でも麻也のスキル、グローバルな舞台で戦える力を見て決断した」という判断が、その後の日本代表史にも大きな影響を及ぼすとは、反町氏も吉田自身も考えていなかっただろう。
結局、北京は3戦全敗という苦杯をなめさせられたが、4年後のロンドンではオーバーエージ(OA)枠で参戦した吉田が、主将としてチームをけん引。1968年メキシコ五輪に次ぐ4位という好成績に寄与した。
とはいえ、彼自身にとっては悔やまれる試合がある。それはもちろん韓国との3位決定戦だ。
ロングボールを蹴り込まれて2失点した、あの敗戦を忘れたことはないだろう。
「自分のサッカーキャリアの中で特に悔しさの残る試合」と本人も苦渋の表情を浮かべたが、二の舞を繰り返すわけにはいかない。しかも今回は自国開催だ。
「メダリストと単なるオリンピアとは相当な違い。3回も出て1回もメダルを取れないのは情けない」と改めて自身を奮い立たせている。