<7>愛媛の母に「僕の愚痴は誰に言ったらええんや」と電話をかけた
「鎌田に話したことの8~9割が、人間性に関すること。そこが変わればプレーの質も幅も、必ず良くなるという確信があったから、きつく言い続けたんです」と恩師は本音を吐露する。
「東山高を勧めてくれたのは、福重監督と大阪体育大時代の同期で日章学園中を全中2連覇へ導いた三笘康之監督(現在は奈良学園登美ケ丘中学校・高等学校)でした。彼は三笘薫選手(サンジロワーズ)の叔父に当たり、サッカーを<見る目>を持っている。『福重は良い監督だし、東山高はこれから伸びるから息子を行かせた方がいい』と太鼓判を押してくれたんで、何も心配することはなかったですね」
■実家を離れ父と2人暮らし
こう振り返る父・幹雄さんは大地が高2になるタイミングで愛媛から兵庫県に転勤。それまで1年間、東山高の寮生活を送っていた息子と尼崎市内で2人暮らしをすることになった。より身近で息子を見守り、支えられるようになったという。
「自宅から高校までは片道2時間近くかかります。大地は午前5時台の始発で家を出て、戻るのは午後10時ごろ。食事は鍋物やカレー、肉料理やパスタなど私が作りました。最初は弁当も作るつもりで1回持たせたら、おいしくなかったのか『もうムリせんでいいわ』と言われてしまった(苦笑い)。それからは学食が基本になりました。時々、同級生のお母さんが作ってくれたりもして、本当にありがたく感じましたね」