新庄との腕相撲でまさかの敗戦…手首の強さと握力はずぬけていた

公開日: 更新日:

浜崎満重(元西日本短大付高監督)#2

「新庄が2年生くらいだったと思います」

 西日本短大付高(福岡)で監督を務めた浜崎氏が懐かしそうに振り返る。

【写真】この記事の関連写真を見る(55枚)

「よく、寮の風呂で力が強そうな教え子と腕相撲をやったんです。私もまだ40歳くらいだったし、腕っぷしには自信があった。ただ、新庄には負けてしまいましたね(苦笑い)。私が負けたのは、新庄とあと一人だけでした」

 湯船につかりながら、浴槽の縁で肘を突き合わせる。他の部員たちも浴室で固唾をのんで見守った。当時は華奢だった新庄が接戦の末に浜崎氏を倒すと、大喝采が巻き起こった。

「新庄は勝った瞬間、ヨシって感じで小さくガッツポーズをしていましたね(笑い)。普段、私にいじめられているから、コノヤローと思って立ち向かってきたんでしょう。何人もの教え子と腕相撲をやりましたけど、新庄は手首の強さと握力がずぬけているなと思いましたね。完敗でした」

 浜崎氏はグラウンドでは選手に厳しく接したが、寮生活については口を出さなかった。個人の時間を尊重したかったからだ。新庄は寮では真っ赤なTシャツを着るなどして目立っていたという。

 浜崎氏は前回、「西日本短大付高時代、後にも先にもプロ入りを勧めたのは新庄だけだった」と言った。なぜだったのか。

「教え子の進路については、先々を考えて大学か社会人を経由してからプロへ、という方針を持っていました。ただ、新庄は新日鉄堺の教え子を含めても、肩の強さは飛びぬけていた。送球コントロールさえ身に付けば、プロで十分にやれる。しかもプロでは外野の定位置が深くなり、彼の長所が生きると思っていました。本人も『プロに行きたい』と言うので、私は『プロ一本で行きなさい。もしダメだったら、(造園業をやっていた)親父さんの跡を継げ』と言いました。阪神に5位指名され、広い甲子園球場であれば一層、実力を発揮できるなと」

「とにかく目立つ選手になれ」

 浜崎氏は新庄が福岡をたつ前、こう告げた。

「一軍のレギュラーになるため、最低3年は死に物狂いでやりなさい。そして、レギュラーを掴んだら、とにかく目立つ選手になれ。プロ野球は夢を売る商売。ファンを喜ばせるために、どんどん目立ちなさい。プロ入り後の3年間と、それ以降はしっかり使い分けるんだぞ」

 その助言通り、新庄は3年目にレギュラーを掴んだ。その後のエンターテイナーぶりは言うまでもない。

 浜崎氏にとって、教え子のプロ野球監督就任は、尾花高夫(横浜=現DeNA)に続いて2人目。

 日本ハムの監督就任以降、独特な指導や方針を掲げる新監督へ、「エンターテイナーなところがあるし、どんな野球をやるのか、楽しみですね」とエールを送った。 (この項おわり)

*この記事の関連【動画】もご覧いただけます。


▽浜崎満重 1948年生まれ。79年、社会人新日鉄堺(大阪)の監督に就任、4度の都市対抗、5度の日本選手権出場へ導いた。87年に西日本短大付高(福岡)へ移ると、92年夏に全国制覇。2004~08年に延岡学園(宮崎)で監督。06年春夏に甲子園出場を果たした。

■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    西武ならレギュラー?FA権行使の阪神・原口文仁にオリ、楽天、ロッテからも意外な需要

  2. 2

    家族も困惑…阪神ドラ1大山悠輔を襲った“金本血縁”騒動

  3. 3

    9000人をリストラする日産自動車を“買収”するのは三菱商事か、ホンダなのか?

  4. 4

    兵庫県知事選・斎藤元彦氏の勝因は「SNS戦略」って本当?TV情報番組では法規制に言及したタレントも

  5. 5

    小泉今日子×小林聡美「団地のふたり」も《もう見ない》…“バディー”ドラマ「喧嘩シーン」への嫌悪感

  1. 6

    国内男子ツアーの惨状招いた「元凶」…虫食い日程、録画放送、低レベルなコース

  2. 7

    ヤンキース、カブス、パドレスが佐々木朗希の「勝気な生意気根性」に付け入る…代理人はド軍との密約否定

  3. 8

    首都圏の「住み続けたい駅」1位、2位の超意外! かつて人気の吉祥寺は46位、代官山は15位

  4. 9

    兵庫県知事選・斎藤元彦氏圧勝のウラ パワハラ疑惑の前職を勝たせた「同情論」と「陰謀論」

  5. 10

    ロッテ佐々木朗希は母親と一緒に「米国に行かせろ」の一点張り…繰り広げられる泥沼交渉劇