新庄は現役当時から「見るのがコーチ。イジったらアカン」と言っていた
僕の次にキャッチボールの相手を務めた萩原誠(1991年ドラフト1位)もケガで活躍できなかった(プロ通算10年、打率.192)。剛志の肩を知らずに投げ合うと、相手はみんな壊れていく。
「あいつとキャッチボールしたら、おまえの野球人生終わるぞ」
新人が入ってきたら常にこう忠告していました。あの強肩のせいで、最後はキャッチボール相手がいなかったんじゃないか。剛志は相手が痛がって投げているのを見るのも大好きで、わざわざ若い選手を呼んで「キャッチボールしよう」と誘っていた。日本ハムの選手たち、本当に気を付けた方がいいですよ。 (この項おわり)
▽吉田浩(よしだ・ひろし) 1971年11月5日、富山県出身。89年、高岡第一高からドラフト6位で阪神に入団。同期で5位入団の新庄はプロ2年目に一軍デビューをしたが、初出場はプロ6年目だった。2002年に戦力外となり、トライアウトで住金鹿島からのオファーを受けて入団。入部1年目で都市対抗野球本大会に出場を果たす。現在は日本製鉄大阪支社に勤務。