大阪工大高(当時)野上友一監督 昭和天皇が崩御で幻となったラグビー決勝戦【前編】
もう一つは、エースの佐野に対する荒川先生の応援です。佐野はかかとを痛めていて、調子が今ひとつ出てなかったんです。
ベンチで私の横に座っている荒川先生が、グラウンドでプレイしている佐野には聞こえないがベンチで呟くように、「足痛いけど、もうちょっとやから、佐野、頑張れ」とひとりごとのようにグランドを見つめておられました。
ーー荒川先生がいかに選手を信頼していたのか。そのことが伝わってくるエピソードですね。それで決勝に進むわけですけど、決勝で茗渓学園に当たるってことが決まったときはどんな印象だったんですか?
茗渓は横横へ展開していくラグビー。スペースを探して走り込んだり、間の人を飛ばして放る長いパスを放ったり、短いパスを放ったり。バックスでぐちゃぐちゃやったり、フォワードがパスしたりキックしたり。そういった、当時にしてみたら真新しい戦術をやっていたんです。帰国子女の選手がいたりしたので、彼らから聞いたのか。真相はわかりませんが、そういうプレイをごく自然な感じで取り入れていましたね。