大阪工大高(当時)野上友一監督 昭和天皇が崩御で幻となったラグビー決勝戦【前編】
ーーどんな戦い方を考えていたんですか?
まあ、例えて言えば、日本式と舶来との対決という感じでしょうか。うちとしては、茗渓だからといって戦い方は特に変わりません。縦に突いて、連続して縦縦で攻撃する。フォワードでガンガン押してバックスも縦にまっすぐ走れ!という感じでしたね。
茗渓に展開させないようにするためには、ボールを渡さないこと。うちのチームがずっと支配し続けるし、攻撃もし続ける。そういう風に試合の主導権を握れたら、いくらロングパスが放れるといっても、パスそのものの機会がなくなるわけです。
■試合前日に電話「決勝戦はやります。ただしNHKでの中継はなくなりました」
ーー決勝戦までの間にどうやって過ごされていたんですか?
調整の練習をして普通に過ごしていましたね。天皇が吐血された秋以降、自粛ムードが世の中を覆っていましたけど、決勝戦の開催可否については「できるやろう」と楽観的でした。