大阪工大高(当時)野上友一監督 昭和天皇が崩御で幻となったラグビー決勝戦【前編】
ーー監督やコーチは?
その年は監督がいない年で(4度の全国優勝に導かれた高校ラグビー界の名将)荒川博司先生(故人)が部長を務められていました。その下で私がヘッドコーチ、同期の橋爪利明がバックスコーチ。その三人体制で指導していました。
そのころはまだ、ラグビーが科学されていなくて、戦術よりも根性が重要視された時代でした。うちの戦い方もそうです。「根性で行け! 頑張って行け! 強気の勝負や!」というものでした。言い方をかえると、「ぐいぐいと強気で攻めたてたら相手が怯む。するとさらにこちらが乗っていって、さらに攻撃する。それを繰り返す」という感じでしょうか。
ーー決勝に進むまでの戦いぶりで印象に残っていることはありますか?
竜巻モールが持ち味の、ものすごく強いフォワードを擁する相模台工業高校と1月5日、準決勝で対戦して粘り勝ち(16ー10)したんです。試合後、涙してる選手がいてね、「だいぶ気持ちを入れて闘っていたんやなあ」と思わず、心を揺さぶられました。