ドラ1蹴ってプリンスホテル入り 「野球部1期生」だからこその超VIP待遇だった
兵庫・滝川の3年だった私は同学年の作新学院・江川卓(元巨人)と慶大の入試に挑んだ。しかし、結果は不合格。江川は法大へ、私は1浪後に専大へ進んだ。
専大にスポーツ推薦で入学する新1年生は2月に入寮する。一般入試組の私は3月に入部。推薦組より1カ月ほど遅かった。後で聞いた話では「2死満塁でも敬遠されたスゲーヤツが入ってくるらしい」と部内で話題になっていたそうだ。
ある時、足の速いレギュラー選手が盗塁の練習をすることになり、「キャッチャーをやってくれ」と頼まれた。ヨッシャーと捕手に入り、全て二塁でアウトにした。「おまえ、肩強いな」と一軍の全体練習に入れることになった。
社会人チームとのオープン戦に出場すると、本塁打を含む3安打。4年生のレギュラー捕手が君臨していたため、開幕マスクはかぶれなかったが、2試合目の九回に同点2ランを放つと、次の試合から正捕手として試合に出られるようになった。
東都通算13本塁打、59打点、打率3割をマークして、1978年春には25年ぶりに優勝。MVPに選ばれた。法大・江川卓、東海大・原辰徳(元巨人)らと出場した日米野球では、日本代表の正捕手として全試合に出場した。