著者のコラム一覧
権藤博野球評論家

1938年12月2日、佐賀県鳥栖市生まれ。鳥栖高からブリヂストンタイヤを経て61年に中日入り。1年目に35勝19敗、防御率1.70という驚異的な成績を挙げ、最多勝や沢村賞などタイトルを総ナメに。連投に連投を重ねる姿に「権藤、権藤、雨、権藤」の流行語が生まれた。68年に現役引退後は各球団の投手コーチを歴任。横浜で初の監督に就任した98年にはいきなりペナントを制し、38年ぶりの日本一に導いた。

中日投手陣ビジター防御率は4.50…“内弁慶”の原因はハッキリしている

公開日: 更新日:

 ホームゲームでの同防御率が2.52だったのに対し、ビジターでは3.96。前年も前々年も敵地では、4点台だった。今季もまだ12試合を消化した時点とはいえ、ホームの2.53に対し、ビジターは4.50と2点近く悪化する。

 本拠地のバンテリンドームナゴヤはセ・リーグの球場では最も本塁打が出にくい。

 中日投手陣は器の大きい“我が家”では、一発を警戒せずに大胆に相手打者の内角を突けるが、敵地ではそれができない。特に東京ドーム、神宮、横浜では過剰にその狭さを意識し、長打を恐れて外角中心の配球になる傾向がある。こうなると、打者からすればしめたもの。踏み込んでいって、自分のスイングができる。

 投手と打者の勝負は、ここに集約される。踏み込ませないか、踏み込めるか。踏み込ませないために、真っすぐでも変化球でも効果的に内角を突くことが必要なのだ。

ゴジラ松井秀喜にはしつこく内角攻めを指示

 横浜監督時代、絶頂期の巨人・松井秀喜を打席に迎えると、私はベンチからしつこく「インコースを突け」と指示を出した。当然、甘く入れば一発を食らう。

■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    大谷翔平の28年ロス五輪出場が困難な「3つの理由」 選手会専務理事と直接会談も“武器”にならず

  2. 2

    “氷河期世代”安住紳一郎アナはなぜ炎上を阻止できず? Nキャス「氷河期特集」識者の笑顔に非難の声も

  3. 3

    不謹慎だが…4番の金本知憲さんの本塁打を素直に喜べなかった。気持ちが切れてしまうのだ

  4. 4

    バント失敗で即二軍落ちしたとき岡田二軍監督に救われた。全て「本音」なところが尊敬できた

  5. 5

    大阪万博の「跡地利用」基本計画は“横文字てんこ盛り”で意味不明…それより赤字対策が先ちゃうか?

  1. 6

    大谷翔平が看破した佐々木朗希の課題…「思うように投げられないかもしれない」

  2. 7

    大谷「二刀流」あと1年での“強制終了”に現実味…圧巻パフォーマンスの代償、2年連続5度目の手術

  3. 8

    国民民主党は“用済み”寸前…石破首相が高校授業料無償化めぐる維新の要求に「満額回答」で大ピンチ

  4. 9

    野村監督に「不平不満を持っているようにしか見えない」と問い詰められて…

  5. 10

    「今岡、お前か?」 マル秘の “ノムラの考え” が流出すると犯人だと疑われたが…