著者のコラム一覧
六川亨サッカージャーナリスト

1957年、東京都板橋区出まれ。法政大卒。月刊サッカーダイジェストの記者を振り出しに隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長を歴任。01年にサカダイを離れ、CALCIO2002の編集長を兼務しながら浦和レッズマガジンなど数誌を創刊。W杯、EURO、南米選手権、五輪などを精力的に取材。10年3月にフリーのサッカージャーナリストに。携帯サイト「超ワールドサッカー」でメルマガやコラムを長年執筆。主な著書に「Jリーグ・レジェンド」シリーズ、「Jリーグ・スーパーゴールズ」、「サッカー戦術ルネッサンス」、「ストライカー特別講座」(東邦出版)など。

金子勝彦さんを悼む「三菱ダイヤモンドサッカー」実況アナウンサー…88歳で逝去

公開日: 更新日:

金子さんと岡野さんが「ダイヤモンドサッカー」で蒔いた種

「ダイヤモンドサッカー」が、サッカー小僧のハートをつかんだことのひとつに番組終了後のプレゼント企画があった。安田(YASUDA)製のサッカースパイクか本革の5号球「イレブンスターズ」が、毎週3~5人くらいに当たるという企画だった。

 当時はスパイクやサッカーボールを売っているショップそのものが東京にも少なかったし、ボールも「貼り」がほとんどで「手縫い」のボールなんて見たことも触ったこともなかった。

 東京以外で視聴できる地域がかなり限定されていたため、応募者も少なかったのだろう。当たるとは思わないまま、スパイクとボールの両方にハガキを出したところ、ボールが当たってびっくりしてしまった。

 白黒の亀甲模様ではなく、オール白のボールだったのは子供心にちょっと残念に思ったが、手縫いのサッカーボールを持っているだけで仲間の注目を集めることができた。ボールはその後、3回ほど修理をしながら使い続けたが、最後は空気を入れるバルブが壊れたため手放すことになった。

 後年、新宿ゴールデン街の映画演劇の関係者の集まる店の常連でサッカーチームを作り、新宿区リーグに参加した。

 その時のエースストライカーが、長身の俳優の大杉漣さんだった。

 彼とのサッカー談義を思い出す。大杉さんは徳島県出身ながら「ダイヤモンドサッカー」を見てハガキを出したら、サッカーボールが当たったという共通の体験をしていることが判明した。

 同じような経験を持っているサッカー少年はその後、日本全国に数多く生まれたことだろう。

 金子さんと岡野さんが「ダイヤモンドサッカー」で蒔いた種はサッカーの記者だったり、カメラマンだったり、あるいはアナウンサーやレポーターといったように様々な形に姿を変え、日本サッカーを支えて来たことは間違いない。

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