J初代チェアマン川淵三郎さん文化勲章受章 87歳でも持論熱弁、そして今後の軸足は?
10月21日に文化勲章を受章した川淵三郎・Jリーグ初代チェアマン(JFA第10代会長)の「受章を祝う会」が11月30日、新国立競技場で開催された。
祝う会には、JFA名誉総裁の高円宮妃殿下をはじめとしてサッカー関係者、政界関係者ら約430人が出席。森喜朗・元内閣総理大臣、麻生太郎・自由民主党副総裁、盛山正仁・文部科学大臣、遠藤利明・元東京五輪パラリンピック担当大臣、河野太郎・デジタル大臣、室伏広治・スポーツ庁長官らが祝辞を述べた。
スポーツ界からの文化勲章の受章は、川淵氏で3人目とかなり珍しい。
過去の受章者は、水泳で世界新記録を出しながら、戦後間もないこともあって認められなかった「フジヤマのトビウオ」古橋広之進氏(2008年に受章=2009年に80歳で逝去)、天覧試合でホームランを打つなど記憶に残るプレーの数々を披露した「ミスター・ジャイアンツ」長嶋茂雄氏(2021年に受章=87歳)だ。
この2人は、現役時代の抜きんでた活躍(長嶋氏は2013年に国民栄誉賞を受章)が評価されての文化勲章だった。が、川淵氏は元日本代表だったとはいえ、現役時代の特筆すべき活躍は1964年の東京五輪(アルゼンチン代表戦でゴール)くらいしかない。
そんな同氏に文化勲章が授与されたのは、Jリーグという「スポーツ文化の創成」が評価されてのことだった。
それまで日本のプロスポーツといえばプロ野球に大相撲、テニスくらいしかなく、競馬や競輪、競艇もプロスポーツと言われたが、(公営)ギャンブルでもあるため、どうしてもネガティブなイメージで語られることが少なくなかった。
日本のスポーツ界は長らくアマチュアリズムを信奉してきた。プロ=お金と結びつけて蔑んだような見方もあった。そうしたイメージを払拭したのが「地域密着」によるスポーツ文化を創っていく――ことを前面に打ち出したJリーグの誕生だった。
高円宮妃殿下は、長沼健氏(JFA第8代会長=2008年に77歳で逝去)や岡野俊一郎氏(JFA第9代会長=2017年に85歳で逝去)の名前を挙げて「川淵さんのリーダーシップのもと、皆さまは地域に根ざしたスポーツクラブのコンセプトが形になっていることを、とても嬉しそうに見守っておられ、川淵さんと楽しそうに話し込まれるお姿をよく覚えております」と当時を懐かしそうに振り返られた。
そして「地域に根ざしたスポーツクラブを日本各地に作っていくという壮大なビジョンを掲げ、わずか10クラブで始まったJリーグは、開幕から30年を超えた今、60クラブに。 川淵さんが提唱してきたサッカーを通じて社会貢献活動というのは『シャレン』の名のもと、年間2万5000回を超えるまでに広がっています。日本代表やJリーグで実績をあげた選手が海外のリーグで活躍し、またJリーグに戻り、若い世代にその経験を伝え、また若い選手が海外のトップリーグへと羽ばたいていくという、川淵さんが思い描いてきたサイクルができつつあることは誠に喜ばしく、そのレールを敷いた川淵さんに感謝申し上げます」と祝辞を述べられた。