危機的状況で迎えた南アW杯直前…闘莉王が「俺たちは弱い。球際を厳しく」と言い出した
2010年南アフリカW杯。初戦のカメルーン戦で本田圭佑が挙げた先制弾のアシストについて「(監督の)岡田(武史)さん(J3・FC今治会長)が『持ったら早く入れろ』と言っていたんで、右足で切り返すしかないと思って(利き足ではない)左足でクロスをファーに入れたら、ちょうどいいところに行きました」と振り返る。日本代表として全身全霊を注いだ14年前の日々。43歳になった男が、歴史的名シーンに思いを馳せた。
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日本は1998年フランス大会からW杯に7回連続出場しているが「前評判が低かった時の方が好成績を残す」という奇妙な“ジンクス”がある。
その最たるものが10年の南ア大会である。当時の日本代表はW杯前の壮行試合で韓国に0-2で完敗。岡田監督が当時の犬飼基昭JFA会長に進退伺いをするほど危機的状況に瀕していたのだ。
「僕は右ひざをケガして韓国戦に出られず、イングランドとの親善試合も途中からだった。『本番は難しい』という見方もあったかもしれないけど、テストマッチに出るか出ないかに関係なく、本番の初戦だけに照準を合わせていました。個人的にはザースフェー(スイス)の高地トレーニングで心肺機能が上がったのが凄く良かったですね。(主将が中沢佑二から長谷部誠に代わった)イングランド戦前のミーティングも大きかった。(田中マルクス)闘莉王が『俺たちは弱い。もっと球際を激しく行こう』と言い出したのも、自分のやるべきことを再認識するいい機会になった。戦術どうこうじゃなく、気持ちと球際、90分間走ることだけ考えればいいと割り切れました」