星野監督1年目…周囲から浮いても関係ない「今岡は変わった」と思わせたくてアップから全力だった
そして、僕にとってのターニングポイントといえる2002年2月23日。公式戦ではない。安芸市営球場でのオープン戦の初戦である。
スタメンではなかった。つまりレギュラーではないということだ。野球人生をかけていただけにショックだったが、出番は九回裏に回ってきた。前の打者が左翼へ飛球。それをレフトが後逸し、打者走者は三塁へ。1死三塁のチャンスで打席に立つも、カウント1ボール2ストライクと追い込まれた。「ここで打たなかったらクビやな」と思ったが、西武・帆足和幸のスライダーに崩されながらも、左手で拾うことができた。打球はセンター前へ飛び、サヨナラ打となった。この瞬間、僕はガッツポーズをしていた。
たかがオープン戦。周囲には奇妙に見えただろうが、「ここで打てるかどうかで、今後の進む道が決まる」と思いつめていた。最初のオープン戦だけに、星野監督にも「やっぱりこいつは今年もダメか」と見限られてしまうかもしれない。僕にとって野球人生をかけた勝負に勝つことができ、「この1年、行けそうや」と思えたのだった。
その後のオープン戦は絶好調。開幕後もレギュラーとして打率.317、15本塁打、56打点とまずまずの成績を残すことができた。
チームはシーズン中盤まで首位争いをしたものの、ガス欠を起こした。終盤戦に入った9月、星野監督が東京の宿舎ホテルに選手、コーチ、職員全員を集め、衝撃の言葉を口にするのである。