僕がプロ野球歴代3位「年間147打点」を叩き出した舞台裏…満塁打率6割、走者なしだと.225
さらなる期待がかけられた06年だったが、5月に死球を受けて負傷したこともあり、不調の原因だった指の腱鞘炎、通称「ばね指」の手術を行うことになる。しかし、手術を終えても調子が上向くことはなかった。06年は59試合、07年は85試合、08年は55試合の出場。そんな08年にこんなことがあった。
3カ月以上も二軍暮らしが続いていた9月11日、鳴尾浜で二軍の試合を終えると、岡田監督から「これから一軍に来い。すぐ使うぞ」と急きょ昇格が告げられた。関本賢太郎が死球を受けて離脱。右の内野手が必要だったとはいえ、二軍でも状態が良くなかっただけに不思議だった。
急いで甲子園に向かい、その試合で同点2ランを打った。意気に感じたのが大きかった。この日は僕の誕生日である。もちろん、岡田監督は知っていた。試合後、こうコメントしていたからだ。
「今岡ほどの選手は二軍での調子なんて関係ない。気持ちで打つタイプやから、信じて任せたと言えば、結果が出るんよ。それに今日は今岡の誕生日。同時多発テロと同じ日やから覚えていたんや」