後世の目を意識すれば“目先の利害”の恥に目が覚める
「李陵・山月記・弟子・名人伝」中島敦著
高校教科書の定番作品「山月記」で知られる中島敦。中国の古典を題材とした小説は漢語が多く、一見とっつきにくいが、短編でテーマも明快、歯ごたえのある自分探しといった趣があり、読み始めたらついはまってしまう。孔子と熱血漢の一番弟子・子路との師弟関係を描いた「弟子」はそうした傑作の一つだ。
武芸に秀で、義侠心にあつい青年・子路は、孔子に出会い、その人間の大きさに圧倒され弟子となる。以来、孔子に対して生涯変わらぬ敬愛の情を持ち続けるが、師の教えで心から納得できないものには、遠慮なく反問する。
考え方の相違はあれど、互いの価値を認め合う師弟。孔子に従っての長年の放浪の末、子路は政情不安定な衛の国に仕えることになるが、孔子の助言に従ってこれを見事に治める。しかしその後、衛に政変が勃発し、老年・子路は無謀にも「義」のために単身鎮圧に乗り込み、全身切り刻まれて壮絶な最期を遂げる。
孔子の道を実行に移してくれる諸侯を求めて放浪の旅に出た当初、子路は師のあまりにも不遇な運命に天を恨むが、放浪の年を重ねるうちに、不思議に苛立たなくなっていく。
それは彼が、師の「いかなる場合にも絶望せず、決して現実を軽蔑せず、与えられた範囲で常に最善を尽くす」という知恵や「常に後世の人に見られていることを意識しているような」立ち居振る舞いに、孔子という存在の大きな意味、一時代に限られない使命をつかみとっていったからだ。
そしてそれは子路の、利害を抜きにした師に対する純粋な愛情ゆえに気づくことができたという。
人は自分のいなくなった後の未来のために行動することは難しい。つい目先の利害にとらわれ、またそれがかないそうにないと、どうせ何も変わらないと現実を軽蔑しがちだ。しかし後世(未来)の人の目を常に意識すれば、自分の行動が恥ずかしくないようにと、自然と背筋も伸びるというものではあるまいか。例えば今日の選挙の投票もまたしかり、である。(KADOKAWA 476円+税 )