「岡田啓介」山田邦紀著
昭和11(1936)年2月26日の早朝。総理官邸に銃声がとどろいた。雪明かりの中に大勢の兵隊がうごめいていた。二・二六事件。このとき官邸内にいた総理大臣が岡田啓介である。一度は決起部隊による総理暗殺が報じられたが、実は総理は生きていて、女中部屋の押し入れに隠れていた。身代わりとなって惨殺されたのは、官邸に居合わせた岡田の義弟、松尾伝蔵だった。
奇跡的に暗殺を免れた男は、その後、どう生きたのか。昭和史の脇役として語られることが多い岡田啓介に焦点を当てた評伝。
明治元(1868)年、福井藩士の長男として生まれた岡田は、海軍軍人を志した。日清、日露戦争への参戦を経て頭角を現し、海軍大将、連合艦隊司令長官にまで上り詰める。60歳で海軍大臣に就任し、政界入り。67歳で総理大臣となったが、2年後に二・二六事件に遭遇。しばらく謹慎を余儀なくされた。
そのころの日本は、戦争に向かってまっしぐらに歩みを進めていた。軍人には珍しくバランスのとれた常識人で、平和主義者でもあった岡田は、いてもたってもいられず動き始める。日米開戦直前の御前会議では、はっきりと開戦に反対を唱えた。しかし流れは止まらない。開戦の報に接した岡田は、「バカなヤツらめ、今の内閣はこの国を壊そうとしている」と激怒した。
案じた通り戦況が悪化していくのを見て、岡田は東条内閣打倒を決意する。身辺はいつも憲兵に見張られていたが、ネゴシエーターとしてあらゆる手を尽くした。東条との直接対決も辞さなかった。東条暗殺計画には待ったをかけた。
一見茫洋としたたぬきおやじだが、知的で冷静、慎重かつ大胆。いつも貧乏暮らしで、酒をこよなく愛した。暴徒が奪えなかった命を終戦実現のために燃やし尽くし、84歳で他界。岡田啓介という味わい深い人物の生涯を通して、日本の戦前・戦中史が生々しく浮かび上がってくる。
(現代書館 2400円+税)