「わたしの家族の明治日本」ジョアンナ・シェルトン著滝沢謙三、滝沢カレン・アン訳
1877年、若いアメリカ人宣教師が、3週間の航海を終えて横浜港に降り立った。トーマス・セロン・アレクサンダー。通称トム。半年前に結婚したばかりの妻、エマを伴っていた。故郷のテネシー州メアリービルから、鎖国を解いて近代国家への道を歩み始めたばかりの東洋の島国へ。若き宣教師夫妻にとって、大変な冒険だったに違いない。トムとエマは開通したばかりの鉄道で横浜から東京へ向かい、築地の居留地で生活を始めた。
明治政府は1873年にキリスト教禁止を撤廃したが、偏見と差別は根強くあった。外国人というだけで好奇の目にさらされた。だが、トムは質素で勤勉で礼儀正しい日本人に好意を持ち、日本語の勉強を日課にした。東京、大阪、九州、京都と任地を転々としながら、教会設立に力を尽くした。日清戦争で負傷した兵士や自由民権運動の志士たちにキリスト教の教えを説き、明治学院や同志社大学の神学部で教壇にも立った。トムは長い間リウマチ性の心臓病に苦しみながら布教に全霊を捧げ、52歳で生涯を閉じた。
宣教師トムの一代記を書いた著者は、トムのひ孫に当たる。ある時、叔母から渡された日記で曽祖父一家の日本での生活や生き方を知り、曽祖父の物語を書く決心をする。ゆかりの人を日本に訪ね、資料を集めるうちに、曽祖父の生涯と明治日本の実像が浮かび上がってきた。
トムとエマとの間には7人の子どもがいた。長女エラと次女のヤングエマは若くして病に倒れ、日本に埋葬された。「パパより賢く、自己中心的でなく、謙虚な良い人間はこの世界のどこにもいない」と、ヤングエマは日記に書き残している。トムは家族だけでなく、周りの人たちに愛され、尊敬されていた。ヤングエマは女子学院で、四女メアリーは東京女子大学で教え、教え子の中から新たな教育者が育った。トムが明治日本にまいた種は確かな実を結び、時空を超えて今の日本に根づいている。
(文藝春秋 2000円+税)