「オーディションから逃げられない」桂望実著
いるよなあこういうやつって、と思わず納得してしまうのが太一だ。この小説のヒロイン渡辺展子と結婚することになる男だが、とにかく軽い男である。
なんとかなるさ、というのが口癖の男だが、自分の両親が泊まるホテルの予約を忘れるのである。展子と太一が暮らす家は狭いので泊めることはできない。大丈夫だよ、キャンセルが出るんじゃないかなあと太一は言う。
計画的に行動すれば何も問題が起きないのに、どうしてこの人はそれができないのか、と展子がいら立つ場面である。すべてがこの調子なのだ。ようするに、粗忽で、大ざっぱで、頼りにならない男である。もちろん長所もあって、それはとことん人がいいこと。パンを作らせてもだめで、レジを担当させると計算を間違うし、これはダメだと思っていたら、接客は天才的で、ようやく展子はほっと安心する。
渡辺展子が中学1年のときから始まって、やがて結婚し、母親となり、ついには経営者となるまでのヒロインの半生を描く長編だが、生真面目な展子はがつんがつんと前に進んでいくので、ちょっとつらくなることがある。そういうときに、この太一の造形が物語の息抜きになっていることに留意。生きているときはいろいろ迷惑をかけられたけれど、死んでしまうと、いいやつだったなあと思い出すような男だ。いや、太一は死んでないんだけど。パン屋経営興亡記でもある。 (幻冬舎 1500円+税)