「心友 素顔の井上ひさし」小川荘六著
「私が臨終の際は、枕元に嫁さんと息子、それから荘六さんがいてくれたら、それだけでいい」
国民的作家、井上ひさしにそう言わしめた「心友」が、井上の没後10年に当たる今年、友だからこそ知り得た素顔を活写した。
2人が出会ったのは昭和31年、上智大学のフランス語科に入学して間もなくだった。教室の最後列でたまたま隣り合わせ、井上が「コーヒー飲みに行こうか」と声をかけてきた。半世紀以上に及ぶ長い長い付き合いの始まりだった。井上は一度、上智のドイツ語科に入学した後、2年間休学。公務員を経ての復学だったから、新入生にとっては年長の兄貴分。井上を中心に同期生の仲間ができて、数人がいつも「金魚のフン」のように井上の後をくっついて歩いた。
徹夜マージャン、ビリヤード、歌声喫茶、飲み会と遊んでばかり。誰かの下宿に潜り込み、深夜喫茶で朝を迎える。ふざけた遊びを思いつくのはいつも井上。学業に厳しい神父、リーチ先生の懐柔策に出て失敗に終わったこともある。そのうち、横須賀でモヤシ栽培をしていた著者の実家が仲間のたまり場になった。家族は何日も居続ける彼らに文句も言わず、食事をふるまった。マージャンをやらない井上もずっと付き合い、家にある本を勝手に読み、家族と親しくなった。井上が学生時代に書いていたノートの文面から、著者の妹に気があったことがわかる。
学生時代から浅草フランス座の文芸部員をしていた井上は戯作者の道を歩き出し、人気作家となっていく。著者は企業や役所勤めを経てコンサルタントとして独立。歩く道は違っても交友は続いた。会えば2人で灰皿を山にして何時間でもしゃべり続ける。「荘六さん、一緒に行こうよ」の一言でどこへでも出掛けて行き、「荘六さん、それはダメだよ」の一言で、いつも優しい井上の厳しさに触れる。知られざるエピソード満載、亡き友への真情あふれる人物伝。
(作品社 2200円+税)