1961年、岐阜県生まれ。2009年「さよならドビュッシー」で「このミステリーがすごい!」大賞を受賞しデビュー。本作は「切り裂きジャックの告白」「七色の毒」「ハーメルンの誘拐魔」「ドクター・デスの遺産」「カインの傲慢 」に続く、シリーズ第6弾。
<1>娘の問いかけにわずかの動き
一 更に受け継がれた死
〈1〉
「じゃあね」
三叉路に差し掛かると、亜以子は美織に手を振って別れた。右側が美織の、左側が亜以子の家に伸びている。小学校の頃はよくお互いの家を行き来していたが、最近はすっかりご無沙汰になっている。あの、キャラクターグッズに囲まれた部屋は以前のままだろうか。
踏み出した次の一歩が俄に重くなる。帰り道を億劫に感じ始めたのは、中学に入って友人が多くなってからだ。友人は倍に増えた。自分とは異なる家庭環境が倍もあることを知った。家族が全員健康で不安を一切感じさせない環境があることを知った。
他所の家族の健康状態に自分が劣等感を抱く必要がないのは分かっている。家族の病気が誰の責任でもないことも重々承知している。それでも足は重くなる。
新旧の住宅が建ち並ぶ一角に亜以子の家がある。門柱に埋め込まれた〈長山〉の文字は達筆すぎて、よく配達員の人は間違えないものだと思う。
「ただいま」
返事がなくても特段気にはしない。自室に戻ってカバンを放り出し、普段着に着替える。そのまま一階南側の部屋に向かう。家の中で一番日当たりがいい部屋だが、もったくなくも日中はほぼカーテンが閉め切られている。
「ただいま、母さん」
今日はいくぶん体調がいいのか、ベッドの上の瑞穂は首をこちらに向けてきた。
「おかえり」
声は消え入るように小さい。人工呼吸器を装着しているためにくぐもって聞こえる。だが聞こえる分、まだましな方だ。具合が悪い日は息をするにも苦しげになる。訪問看護サービスの担当者と入れ替わりに亜以子が看護をすることになっており、家族の手に余るようなら介護サービス社に連絡する取り決めになっている。
瑞穂はずいぶん前からALS(筋萎縮性側索硬化症)に罹患している。全身の筋肉が痩せたり感覚が鈍くなったりする病気と聞いている。瑞穂も最初は手足に力が入らず息切れしやすくなる程度だったが、日増しに悪化して今では寝たきりになってしまった。
喉の筋肉も萎縮しているので痰が絡んでも上手く飲み込めない。少しでも痰を柔らかくするために二十四時間加湿器が稼働しているが、どれだけ効果があるのか亜以子には分からない。
「喋らなくていいから。痰は大丈夫だよね」
亜以子の問い掛けに、瑞穂はわずかに頷く。三センチほどの動きだが本人には精一杯の可動範囲らしい。この範囲も年々小さくなっていく。今はまだ会話補助装置やスマートフォンを介したやり取りも可能だが、いよいよとなれば瞬きの数で意思を伝えなければならなくなるだろう。いや、下手をすれば眼球の動きに頼らざるを得なくなるかもしれない。
(つづく)