「ドストエフスキー 黒い言葉」亀山郁夫著/集英社新書
今年はロシアの文豪ドストエフスキーの生誕200年にあたる特別の年だ。わが国におけるドストエフスキー研究と翻訳の第一人者である亀山郁夫氏(名古屋外国語大学学長)が素晴らしい作品を上梓した。
亀山氏はドストエフスキーの小説が「ポリフォニー(多声性)」の性格を帯びていることを強調する。
<ドストエフスキーの文学は本来的に「ポリフォニック(多声的)」であり、なおかつ個々の声に分裂しているのだから。したがって、ドストエフスキーが作品のなかで表明する思想なり信念なりを、ドストエフスキーを主語にして断定的に語るのは危険である。それらはあくまで、「ポリフォニー」の一声部として扱われるべきだ>
小説の行間から、書かれた文字とは別の意味が醸し出される。そして複数の読みが可能になる。
本書はドストエフスキーの「ことば」を紹介する箴言集の体裁をとっているが、多声的な構成で亀山氏のコロナ禍の時代に対する危機意識が表明されている。亀山氏もこのことを強く意識しているようだ。
<今回お届けする『ドストエフスキー 黒い言葉』は、雑誌「すばる」二○一九年十月号から二○二○年十二月号まで計十四回にわたって連載されたものの新書化である。当初、ドストエフスキー箴言集として構想され、スタートした企画だが、第一章からそのアイデアは挫折した。/(中略)ただ、ひと言弁解させていただきたい。この『黒い言葉』は、コロナ禍という異常事態、異常な心理状態のなかで生まれた。そしてそれぞれの時点で、アクチュアリテイをはらむと思われる社会現象に目を配らざるをえなかった>
コロナ禍でグローバリゼーションに歯止めがかかり、各国の国家機能が強化された。国家機能でも行政権の優位が顕著になった。行政権は指導者によって人格的に代表される。
国民の幸福のために独裁を行うのがドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」に出てくる大審問官だ。
内閣支持率が低迷するにもかかわらず権力に固執する菅義偉首相を現代日本の大審問官と見なすと、菅氏の内的世界がよくわかると思う。
★★★(選者・佐藤優)
(2021年8月4日脱稿)