「忍びの者 その正体」筒井功著
元来は伊賀や甲賀出身の者を指した伊賀者、甲賀者という言葉はかなり早くから「忍び」を意味するようになった。
甲賀の竹中城は一辺50メートルの土塁に囲まれた正方形の城郭である。元来は耕作地をもつ地侍の居住地だった武装屋敷のようになっている。伊賀や甲賀には有力な武家大名がいなかったため、土豪や地侍、百姓らが惣(同盟)を結び、外敵に対応してきた。危急存亡の折には国境を越えて他国の城取りに行っていた。伊賀の足軽は傭兵のような形で主従関係のない武将のために働くことが多かった。多くの中世城郭を築いた伊賀者や甲賀者は、容易に城に侵入できたため城取りが得意だったのである。文献や言い伝えを基に、虚像ではない「忍び」の実態を紹介する。
(河出書房新社 2112円)