「水道、再び公営化!」岸本聡子著/集英社新書
今年6月に杉並区長選挙で187票差で当選した著者は、選挙戦で繰り返し、「私の選挙ではありません。みなさんの選挙です」と訴えていたという。選ばれる者より選ぶ者の選挙だという主張は当然だけれども、そのことが忘れられていた。
杉並区民で選挙に関わった作家の中島京子と私は「俳句界」の9月号で対談したが、中島は感動したとして、こう言っていた。
「新自由主義的な、それこそ自己責任論とかが30年ほどずっと続いて、未来に何も希望が持てなかったんですが、岸本さんは別のものを見せてくれたし、地域の方々がもっているものと共鳴したところが、とても新しいというか、これから期待が持てますね」
水を商品として利益の対象とする水メジャーのヴェオリアやスエズと、著者はヨーロッパで闘ってきた。竹中平蔵などが唱える新自由主義は「民営化」を金科玉条のように進めるが、私は民営化を「会社化」と言っている。そう置き換えれば、彼らが強調するほどいいものではないことが明確に分かるだろう。
例えば、日本で中曽根康弘などが推進した国鉄の分割・民営化ならぬ分割・会社化は過疎地の住民の足を奪い、さらなる過疎をもたらした。私はそれに懸命に反対したが、当時、北海道のある町の町長が訴えた言葉が忘れられない。
「国鉄が赤字だ赤字だと言うけれども、じゃ、消防署が赤字だと言うか」
郵政の民営化ならぬ会社化でも同じである。
過疎地の住民にとって郵便配達はライフラインであり、配達員は安否の確かめ役だった。そこに黒字赤字の数字を持ち込んで、いまは土曜配達がなくなっている。
著者が言うように、「水は民主主義」であり、民営化という名の会社化によって悪化した水道を再び公営化する運動が世界各地で市民の手で起こされている。
日本も麻生太郎をその代理人として水メジャーに狙われている。内閣府の中に官民連携や民営化推進の「PPP/PFI推進室」があるが、そこにヴェオリア社の担当者がいた。2018年に参議院議員の福島みずほが厚生労働委員会で驚いて質問した。
「これって、受験生がこっそり採点者に言って自分の答案を採点しているようなものじゃないですか」
公潰しが政府の役割なのか。 ★★★(選者・佐高信)