「『死刑になりたくて、他人を殺しました』」インベカヲリ★著
2021年10月、京王線車内で映画「ジョーカー」の主人公のコスプレをした男がサバイバルナイフで乗客に切りつけ、車内に放火した。動機は「2人以上殺して死刑になりたかった」から。
秋葉原無差別殺傷事件(08年)や東海道新幹線車内殺傷事件(18年)などがすぐに思い浮かぶように、近年、死刑になるために事件を起こす無差別殺傷犯が目立っている。彼らはなぜ自殺ではなく、殺人を選んだのか。
この問いに向き合ってきた10人が著者のインタビューに応じた。
犯人の友人、死刑囚に寄り添う人、加害者の家族を支援する人、研究者らが、それぞれの視点で語っている。
人々に無視され、ひっそり死ぬくらいなら、大勢の人に、憎まれて死にたい。そのほうが救いになる、そういうことではないのか(教誨師)。
人を巻き込んで踏ん切りをつける。アメリカの銃乱射が、日本の拡大自殺に当たるのでは(社会学者)。
無差別殺傷犯は事件前から自殺未遂を繰り返していることが多い。逆に言えば、死に切れない意気地なし(刑務官)。
自殺と殺人は表裏一体。日本は犯罪数が少ない安全な国だが、15歳から39歳の死因の1位が自殺という事態は、犯罪が少ないことの裏返しなのかもしれない。自殺や殺人に至らないまでも、生きづらさを抱えて何とか踏みとどまっている人が水面下に無数にいると思うと怖くなる。健全な社会ではない。
加害者家族支援を行っている人は、「世界的に見て、日本は最も加害者家族が生きづらい国」と感じている。転居するなら多様性に寛容な大都市を勧めるという。
一見自由なようで、実は狭い世間の常識や同調圧力にがんじがらめ。生きづらさが絶望や怒りを生む。普通に生きている「私たち」と、やってしまった「彼ら」は、紙一重なのかもしれない。
(イースト・プレス 1870円)