元女子プロレスラー大森ゆかりさんはパートに出る主婦「パイプ椅子が並んでいると『飛びたいなぁ』って…」
大森ゆかりさん(元女子プロレスラー/62歳)
袈裟斬りチョップで、「女・力道山」というニックネームがついたダイナミックファイター。1980年にデビューしたダンプ松本(63)、クラッシュ・ギャルズ(ライオネス飛鳥=60、長与千種=59)より早くシングルとタッグのベルトを獲得。現在はパートに出る主婦だ。
父親は身長180センチ、体重100キロ超えで、草野球ならぬ、草相撲の力士。父親似のゆかりは小学生から柔道を習い、女子プロレスラーになるよう育てられた。
「中学生で体重は84キロ。父の関係で相撲取り関係の知人が多くて、15歳で湊川親方と会ったときに目の前で、父の上に弟、その上にお母さんを乗せて、200キロぐらいを背負って歩いちゃった。二重跳びも逆上がりもできないぐらい運動音痴なのに、足腰は強くて、力だけはあったから、高校卒業後に鏡山親方に後見人になってもらって、全女(全日本女子プロレス興業)に入ったんだよね」
正統派の美人にしてストロングスタイル。入団翌年に、元アイドル歌手のミミ萩原(67)とWWWA世界タッグ王座に君臨。空前の女子プロブームだった84年から85年にかけては、ジャンボ堀(61)との「ダイナマイト・ギャルズ」で人気を得た。
「全女は気が強い女ばかりだから、怖かったよ。私は揉め事に首を突っ込みたくない性格だから、堀さんといたずらばっかしてた。巡業先で、部屋のベッドとか全部ひっくり返して、泥棒が入ったように見せかけたり。飛鳥が嫌いだった納豆を練って、カーテンの裏に隠しといたり……女子高生のノリでふざけてたから、会社の人からいつも『堀、大森!』って怒られてた。堀さんとは私生活でも仲が良くて、一緒に住んでたこともあったね」
最盛期は年間310試合。中でも本気でキレた一試合が、85年3月の対ダンプ戦。凶器攻撃がエスカレートしたため、善玉だった大森がダンプのフォークを奪って、左腕に刺したのだ。
「ムカついたんだろうね。刺した瞬間、シャウエッセンの粗びきウインナーが割れたみたいな、『プシュッ!』て音がしたのを覚えてる。その後、奪った竹刀を足で真っ二つに折ったんだけど、竹のささくれが足じゅうに刺さって痛かったー。そのダンプからは堀さんが辞めたあと(86年)、『極悪に入れ』って誘われたんだよね。でも、入ったところで後輩のブル(中野=56)ちゃんの下になるし、凶器を使う試合は好きじゃないから断った」