6年前にくも膜下出血 神足裕司さんは「書く」が存在理由
回復期の入院で一番の収穫は、「クチュクチュペッ」ができるようになったことです。ボクは例のごとく覚えていませんが、水を口に入れても飲むこともできなければ、吐き出すこともできませんでした。出すとなると、ダラァ~ッと垂らす感じだったのです。だから「ペッ」は3カ月間、毎日、土日も元日もなくリハビリの先生が来て練習を続けてくれたたまものなんです。「やればできるようになるんだ」と家族は感動していました。
そのくらいの状態で約1年ぶりに自宅に戻り、その直後からTBSラジオに手紙を書く形式で仕事を再開しました。ついさっきの出来事も、ちょっと前に考えていたこともすぐに忘れてしまうので、思いついたことは何でも書き留めるようになりました。左半身はまひで動きませんが、幸いにも右手は健在で書くことができるんです。
だから、意識が戻ってからは早く仕事がしたいと思っていました。ヤル気がない時にふと横を見ると家族がいて、何も言わずに寄り添っていてくれる。それを見ると「頑張らないとな」と思い、家族のために復活したいと決意しました。自分のためだけだったら、もうあきらめていたかもしれません。