日本人初の同時移植 ハギワラマサヒトを救った太田光と妻
その時点で「余命半年」と宣告されていましたが、移殖者リストの登録順を見ると「1年~1年半待ち」でした(笑い)。ただ、「もう危ない」となったら、リストの順位が入れ替わるシステムなので、順位は上がったり下がったりするんです。
でも、順番が回ってこないまま9カ月が経ち、体は限界にきていました。腎不全にもなり、急きょ首の血管から人工透析をしたところ、バスタオルでも間に合わないほど、口から血があふれました。
その夜、「もう何日ももたない」と感じ、日本にいる家族と太田さんに電話をしたんです。「ここまで頑張ってきたけれど、もうダメだと思う」と……。「そんな弱気だからダメなんだ、おまえは」なんて太田さんに励まされながら、内心では「これが最後」と思って電話を切ったことを覚えています。
ドナーが見つかったのは、そのわずか2~3時間後でした。「何だったんだ? さっきの電話は」となりましたが、とにかくうれしかった。手術室の前で「もう助からなくてもいいや」と思いました。それくらいやりきった満足感があったんです。と同時に、どこかで「この流れなら移殖は成功するだろうな」とも思っていましたけどね(笑い)。