骨肉腫で脚切断の危機 東儀秀樹さん“余命1年”からの現在
でも、脚を残してくれたのは、膝の権威といわれる主治医でした。数年してその主治医が亡くなった後に奥さまから聞いた話では、「あのとき主人は、病院の医師全員を敵に回して闘っていました」とのことでした。当時の医療では、あの状況ではなるべく早く脚を切断するのが常識だったのです。残したことで病院の責任を問われることにもなりかねない。だから、その主治医の勇気には本当に感謝しています。
この膝のがんの他にも、死にかけたことが何度もあります。初めは18歳でのバイク事故。もうひとつは高速道路でトラックに追突された自動車事故。7年前にはバイクで転んで肋骨を7本折りました。
何度も死のふちから助かると、「それは神様に生かされているのです」と言う人もいるけれど、僕が思うには、こうしたインタビューで語る使命を帯びている気がします。ワクワク細胞のことや、楽しんで生きることのステキさを宣伝するっていうね(笑い)。
ちなみに、2月後半には右膝の手術をします。今度は原因不明の半月板損傷です。おかげさまで、また話のタネが増えました。
▽とうぎ・ひでき 1959年、東京都生まれ。奈良時代から雅楽を世襲してきた楽家に生まれ、18歳で宮内庁楽部に入る。宮中での演奏の他、海外公演などで国際親善の一翼を担う。96年のアルバムデビュー以来、ジャンルを超えたオリジナル曲が国内外で高い評価を得る。