梅毒上陸と天才軍師・黒田官兵衛 死の直前は奇行が目立った
坂口安吾の小説の中で、官兵衛は「頭一面白雲のような頑疾」があるとされています。あるいは官兵衛が頭巾を常用したのは、それを隠すためだったのではないでしょうか。
一番の有力証拠は、1592年の朝鮮出兵の途中で腫れものがひどくなり、途中で帰国したことです。官兵衛の帰国で秀吉軍の旗色は悪くなり、秀吉は激怒したと言われています。帰国する直前、官兵衛は秀吉の甥の秀次に宛てた手紙に、「山帰来」という薬を服用していると書いています。この薬は水銀中毒で起きるけいれんや神経異常を緩和するための漢方薬とも言われています。水銀治療は当時、梅毒の最先端治療で宣教師が伝えたとも言われています。
晩年の官兵衛は、突然理由もなく家臣をしかり飛ばすなど奇行が目立ったそうです。これも梅毒の末期に見られる脳梅毒だった可能性があります。
歴史に「もし」はありませんが、もし官兵衛が梅毒でなかったら、今の日本も違ったものになっていたかもしれません。性感染症は歴史を動かす力があります。若い頃の奔放な行動は若気の至り、だけでは済まないのです。