梅毒上陸と天才軍師・黒田官兵衛 死の直前は奇行が目立った
その中には有名な武将もいたと考えられます。その1人が、NHKの大河ドラマにもなった黒田官兵衛(1546~1604年)です。生涯無敗を誇った戦国武将は豊臣秀吉の天下取りを手助けした名軍師とされながら、その秀吉をして「黒田のカサ頭は気が許せぬ」と言わしめた才人です。キリシタン大名としても有名でした。
■治療薬を服用していた?
その官兵衛はなぜ梅毒が疑われているのでしょうか? 官兵衛は若い頃、貿易港として栄えた堺を訪れており、ポルトガル出身のカソリック司祭であるルイス・フロイスが布教活動をしていた南蛮寺に立ち寄ったとも言われています。先に申し上げたように、梅毒は貿易と一緒に日本に上陸したと考えられるため、官兵衛が感染する可能性があったとしても不思議はありません。
また官兵衛は、秀吉の軍師だった頃、敵方に寝返った荒木村重という武将を元に戻るよう説得しに行き、捕らえられて1年余り牢獄に幽閉されます。その時、今でいう骨髄炎・骨膜炎を患い、それ以降、膝が曲がったままだったとされています。実はこれも幽閉が原因でなく梅毒のせいではないかと疑われているのです。