イルキャンティ 笹間章CEO(1)笹塚の「イタリア式食堂」が半世紀を経て一大グループに
「特急ロマンスカーに乗って温泉に行けて、子どもとしてはうれしかったのですが、後から思えばあれは夜逃げのようなものだったのでしょう」
中学生になると両親は離婚。ますます家は困窮するようになり、高校の学費もアルバイトで稼がなければならなかった。
■学費を稼ぐためにバイトに明け暮れた高校時代
中学時代から器械体操を始めた笹間氏。その設備が充実していたこともあり、拓殖大学第一高校に進学した。
学費や生活費を稼ぐため、高校時代の笹間氏はいろいろなアルバイトにいそしんだ。中でも力を入れたのが、航空会社の飛行機を洗う仕事だった。フライトを終えた後の機体を、深夜から朝にかけて手洗いする。重労働だがその分、時給は良かったと、笹間氏は話す。
昼間は高校で体操部の活動に励み、夜は飛行機を洗うアルバイトという生活を続けた笹間氏だが、体操選手としても素晴らしい成績を収めた。
「得意種目は鉄棒と平行棒でした。都大会で個人総合6位になったこともあります」