豊田自動織機(下)「次の道の発明」の目標は正しくも、達成は至難の業
TOYOTAの歴史は自動織機の発明者、豊田佐吉から始まる。佐吉は年号が明治と改まる1年前の1867(慶応3)年に、遠江国敷知郡山口村(現在の静岡県湖西市)に生まれた。
佐吉が豊田式木鉄混製動力織機を発明・完成させたのは96(明治29)年で29歳のときだった。紡織機がブームになり、佐吉は発明王と称賛された。
佐吉が発明の究極の目標としていたG型自動織機を完成させるのは1924(大正13)年。超高速・全自動で布を織ることができる世界初の自動織機である。
26(大正15)年、自動織機を製造・販売するために豊田自動織機製作所(現・豊田自動織機)を設立した。
トヨタ自動車が豊田自動織機製作所(以下・織機と略)の一部門として発足した経緯には、人間の夢と欲とのぶつかり合いがある。
27(昭和2)年10月、昭和天皇から勲章を授与され、親族一同、記念撮影という晴れの席で佐吉は倒れた。そして「喜一郎、おまえは自動車をやれ」と一言、言い残して世を去った。