資生堂(上)“プロ経営者”である魚谷雅彦会長は退任のタイミングを逸してしまった
社長(当時)の前田新造から「資生堂のマーケティングを立て直してほしい」と頼まれた。
資生堂は百貨店の化粧品売り場と、全国に張り巡らした化粧品専門店を2本柱に化粧品のトップメーカーの地位を不動のものにしてきた。しかし、1997年4月、化粧品再販制度の撤廃から長期低落が始まった。価格決定権がメーカーから小売業者に移り、販売チャネルは大きく変わった。
得意としてきた百貨店向け高級化粧品が低迷。資生堂を支えてきた化粧品の専門店は減少した。代わって、ネット通販系の化粧品が台頭してきた。国内ではかつての王者・資生堂の独り負けが続いた。
「化粧品のイロハも分かっていないド素人に何ができる」。当初、魚谷を見る社内外の目は冷ややかなものだった。
しかし、プロ経営者はタダモノではなかった。魚谷が社長に就任する直前の14年3月期の業績は売上高7620億円、営業利益496億円だった。それが17年12月期(15年から決算月変更)には売上高1兆50億円、営業利益804億円と業績を大きく伸ばした。20年を目標としていた「売上高1兆円」の中期経営計画を3年前倒しで達成。低迷していた業績を立て直した。