プロ野球は人間が判定するからこそ面白いのだ
■ビデオは血が通わぬ
今年から大リーグで導入された「チャレンジ制度」。両チームの監督に六回まで1度、七回以降は2度までビデオ判定を要求する権利が与えられるというもの。
「日本球界としても導入に向けて前向きに検討してまいりたい」
などと猿真似が得意な日本野球機構が役人口調で言うだろうことは想像に難くない。
わたくしは、ビデオはホームランかファウルかの判定に使うにとどめるべきだと思う。セーフかアウトかの決定権を高速度撮影機材に委ねるのは血が通わぬ。そんな冷血装置を年に1回プロ野球が地方巡業する以外は閑古鳥鳴くすべての地方球場にまで設置するカネがあるならば、審判の給料を上げてやれ日本野球機構。
審判は日本プロ野球史上、長きにわたり、ヘボの下手くそのと監督から疎まれたことがトラウマとなってきた。大リーグの審判学校にまで留学して厳しい訓練を受けて、ついには暴力は言うに及ばず人格を罵倒するような抗議にも決然と退場を言い渡す権限を得たのだ。以来、日本の審判はいったん決めたことが覆るのをことのほか嫌う。これも日本の役人と同じだ。