様変わりした甲子園勢力図 「東高西低」はいつから、なぜ?
ベスト8が出そろった時点で近畿勢が消滅。興南(沖縄)が関東一(東東京)に敗れたため、ベスト4に残ったのは、関東3校と東北1校となった。
数年前から甲子園は、「東高西低」となりつつある。あるスカウトは「06年の早実(西東京)―駒大苫小牧(南北海道)の決勝戦が大きい」と言う。
「かつての甲子園は西日本勢が優勢だったが、03年は常総学院(茨城)の優勝、04、05年は駒大苫小牧の2連覇。東日本勢が勝っていたところにあの熱戦ですからね。斎藤佑(現日本ハム)と田中(現ヤンキース)が投げ合い、決勝再試合まで行った戦いは日本中が熱狂した。9年前なので、現在の高校3年生は8、9歳ごろ。大体野球を始める年齢とあれば、深く脳裏に刻まれたはずです。関西はもちろん、西日本の有力選手が東の名門を目指すきっかけになったのではないか」
東と西で監督の年齢に差が出てきたことも影響しているだろう。今大会を見ても、70年以降に生まれた45歳以下の比較的若い監督は東日本に15人。西日本の9人を大きく上回っている。