【藤江直人特別寄稿】なでしこJ高倉麻子新監督の“正体”
■「チビは放っておけ!」と剣幕にびっくり
初招集組が5人。3月の五輪最終予選から平均年齢を約3歳若返らせて臨む相手は、世界ランク1位の米国だ。時差ボケ対策や高地対策(試合は標高約1600メートルのデンバー)もままならず、初陣で極めて厳しい戦いを強いられる。しかし、高倉監督は真っ向勝負を宣言。その上で笑みを浮かべながらこうも語った。
「アメリカに勝てる魔法のシステムがあれば、教えて欲しいんですけど」
もちろん冗談交じりではあるが、女子サッカーの黎明期を必死に駆け抜け、通算79キャップを獲得する名選手にまで上り詰めた指揮官の、負けず嫌いの一面を思い出さずにはいられなかった。
今から四半世紀前の91年11月。中国で開催された第1回女子W杯に女子代表は、男子に先駆けて出場している。高倉監督も、選手で出場した。
当時、女子サッカーの認知度は低く、壮行試合は無人の西が丘サッカー場で行われ、相手は東京運動記者クラブ・サッカー分科会の有志だった。