“甲子園やくざ監督”と青学陸上部・原晋監督との意外な仲
――大学長距離界で実績を残している原監督ですが、就任当初は苦労の連続だったようです。
「原監督から『選手たちの意識が低くて体育会とは思えませんでした』と聞きました。実際、深夜に無断外出したり、夜更かしに朝寝坊を繰り返す選手も少なくなかったようです。両親の面倒をみるために30歳で島根に戻り、開星高の監督として甲子園に(春夏合わせて)9回出場しましたが、就任当時はグラウンドもない、選手も集まらない、道具もない……と文字通りゼロからのスタートでした。原監督も僕も、強豪校の指導者に収まって結果を残したのではない。弱いチームを強くしたい! という“熱き魂”を持って全力でぶつかった。そこにお互いが共鳴し合い、信頼関係が生まれ、出雲駅伝(10月10日)の前日には、席を同じくして酒を酌み交わすようになった。
共通項はまだある。2人とも『良かれと思ったことはきちんと主張する』ところが似ている。たとえば高校野球の不祥事が起きた際の連帯責任について。当該校の意思よりも、ある種の“権力”を持つ高野連の『意見が尊重される』傾向にあるのはいかがなものか? と疑問を持ち、高校野球の監督時代から『おかしい』と言い続けてきた。原監督も出身大学や所属実業団の先輩後輩の関係だったり、昔ながらのトレーニング法だったり、陸上界の発展につながらないと思ったことに対しては、きちんと声にして『批判を覚悟の上で改革案をブチ上げます』と信念を持って言い切っている。まだまだ原監督への風当たりは強いかもしれない。しかし、そんなことでは、原監督の信念は折れないでしょう」