81歳で死去 ダイヤモンドバックス支援したマケインの矜持
8月25日、米連邦上院議員のジョン・シドニー・マケイン3世が81歳で死去した。
マケインと野球の関わりが深くなったのは、1998年に地元アリゾナ州フェニックスにダイヤモンドバックスが設立されてからだ。海軍士官であった父の任地のパナマで生まれたマケインがアリゾナ州を地盤としたのは、妻シンディの父ジェームズ・ヘンスリーがアリゾナ州を拠点とする大手酒販企業ヘンスリー・アンド・カンパニーの創業者だったことが大きい。
アリゾナ州はフェニックスが大リーグのスプリングトレーニングの拠点であり、89年にルーキーリーグのアリゾナリーグが創設されるなど野球との関わりは深いものの、大リーグの球団は存在しなかった。
しかし、98年にダイヤモンドバックスが誕生すると、マケインは妻や子どもたちと本拠地バンクワン・ボールパーク(現在のチェイス・フィールド)でしばしば観戦するようになる。
政治家にとって野球や他のスポーツを観戦する姿は自らの庶民性や大衆性を訴えるための効果的な手段だし、球団側も地域で最も権威のある連邦上院議員の観戦は名誉なことであった。ヤンキースとの間で行われた2001年のワールドシリーズでは、バンクワン・ボールパークでの第7戦で始球式を行っており、ダイヤモンドバックスにとってマケインが重要な存在であったことが分かる。