投手タイトルを分け合う“約束”を中日に反故にされた
2年目の1985年のシーズン終盤、中日・小松辰雄に次ぐ防御率2位につけていた私は、安仁屋宗八一軍投手コーチにこう言われた。
「川端、おまえは新人王が取れる。だから防御率は我慢せえ。納得してくれ。防御率は小松、最多勝は北別府(学)と小松を同時に取らせる」
私にはまだ…
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