盟友・高木守道氏を悼む 今も耳に残る「パチン!」の音
代名詞だったバックトスはもちろん、すべてはセンスと練習のたまもの。キャンプでは1時間、2時間、淡々とノックを受けていた。「天才」の上に「努力する」の枕詞がつくから、これはもう誰もかなうわけがなかった。
■ゴルフでダボでも打とうものなら…
半面、性格は短気。こちらにも「超」がつく。例えばゴルフ。シングルの腕前だったが、調子の悪い日もある。ダボでも打とうものなら、さっさとひとりでグリーンを上がり、次のホールでそのままパターを持ってティーグラウンドに立つと、怒りに任せてティーショット。「もうええ!」とばかりに、パターだけでホールアウトすることもあった。同伴者はア然ボー然だが、火がついてしまうと周りが見えなくなってしまうのだ。
2012年に投手コーチとして高木監督と久々にコンビを組んだ際も、彼のこの「瞬間湯沸かし器」には参った。生粋の勝負師だけに、すべての試合に勝ちにいく。感情的に投手をパッパと代えようとするから、「待ってください」「ここは我慢しましょう」と私は押しとどめる。それがエスカレートして、メディアには「70歳バトル」と面白がられた。
それも、本当の思い出になってしまった。ご冥福を祈るしかない。