人気レスラーだった安生洋二さんは串焼き店で“300%”奮闘中
英語はペラペラだけどいじめられた
さて、1967年3月28日に都内杉並区で生まれた安生さんは、父親の転勤のため4歳から11歳までニュージーランドで過ごした帰国子女。
「それで英語はペラペラなんだけど、帰国直後は日本語が片言だったせいで、ずいぶんイジメられたなあ」
プロレスに目覚めたのは中学時代。後楽園ホールで初代タイガーマスクの試合を観戦して感動。さらに高校進学後は高田延彦に憧れ、迷うことなく卒業後にUWF道場の門を叩いた。
デビューは85年7月8日。87年には新日本プロレスのヤングライオン杯に出場するほど実力をつけていった。
一気に名を売ったのが94年12月のヒクソン・グレイシーとの一戦。ヒクソンvs高田戦の下交渉のため米・ロサンゼルスのヒクソン・グレイシー柔術アカデミーを訪問したところ、ヒクソン側は殴り込みと思い込んでおり、「予期せぬ果たし合い」(安生さん)になりKO負け。だが3年後にヒクソンvs高田戦が実現したのだから、ケガの功名とも言える。
翌95年からは新日本プロレスとの対抗戦へ。ビッグマウスに磨きがかかり、またオチャラケキャラがウケてプロレス大賞技能賞を受賞するなど、独自の路線で活躍。01年には天龍源一郎とのタッグで全日本プロレスの第44代世界タッグ王座を獲得してもいる。
その後、「ハッスル」「PRIDE」などのリングで大暴れ。エンターテインメント路線の立役者のひとりでもあった。
そして迎えた15年3月の引退試合。かつての盟友、高山善廣・山本喧一vs船木誠勝・鈴木みのる・菊田早苗の6人タッグマッチで30年間の現役生活にピリオドを打った。
「ケジメは大切だよ。俺はやり切ったから、もう復帰はない。コロナ騒動でちょっと遠のいたけど、いずれ独立したいんで、その時はまた取材に来てよ」
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(取材・文=高鍬真之)