DeNA平良 毎日10kmの走り込みで鍛え上げたトルネードの礎
このバッテリーで中学時代は2度の全国大会を経験。その仲間たちと共に甲子園を目指すことを決意し、地元公立校の北山高へ進学した。同校で当時顧問を務めていた新里拓氏はこう語る。
「小学生の頃からずっとプロになることを目標にしていたようです。そのためには、と練習内容を自分で工夫して、黙々と取り組んでいた姿が印象深いです。平良は闘志を内側に秘めているようなタイプですが、プロへの熱意はひしひしと伝わってきました」
2年時の部員は全体で17人と少なかったが、新入生を迎えた3年の春に県大会を優勝。機運も高まり第1シードとして臨んだ夏の甲子園の県予選では、しかし、まさかの初戦敗退を喫した。同校の投手は平良ただ1人。延長戦に突入したその試合も14回、183球をたった1人で投げ抜いた末にサヨナラ本塁打を浴び、夏が終わった。
「投手は自分しかいない、という責任感もあったのだと思います。平良は誰よりも練習をする男でした。学校の練習が終わったら、私が自転車で荷物を持って、平良は走って帰る。そして、自宅に荷物を置くと、今度は近所の運動公園まで走って行って、また練習。走る距離も尋常じゃなく、少なくとも1日10キロは超えていたと思います。北山高は駅伝が強いのですが、その駅伝部の練習にも参加していたくらいですから」(仲里氏)