史上最大の復活V 照ノ富士“地獄”を見て相撲も性格もガラリ
復活を祝福する拍手が鳴りやまなかった。
新型コロナ禍の中で行われた大相撲7月場所。観客を1日2500人を上限とし、場所も名古屋から国技館になるなど、何から何まで異例の場所だった。そんな真夏の本場所を制したのが、元大関の照ノ富士(28)だ。
単独トップの12勝2敗で迎えた2日の千秋楽。3敗の御嶽海に負ければ、結びの朝乃山―正代戦の勝者を含めた3人による巴戦となるはずだった。しかし、照ノ富士は立ち合いで鋭く踏み込むと、御嶽海を圧倒。そのまま寄り切り、2015年5月場所以来、自身2度目となる賜杯を手にした。
優勝旗を師匠である伊勢ケ浜審判部長(元横綱旭富士)から受け取った照ノ富士は、「(相撲を)続けてきて良かった」と破顔。「いろいろなことがあったけど、笑える日が来ると信じて一生懸命やってきた」と話した。
今場所は18年1月場所以来となる幕内の土俵。番付は幕尻の前頭17枚目と、返り入幕を果たしたばかりだった。
15年に大関に昇進したときは、「横綱間違いなし」と言われていたが、左ヒザの古傷が悪化し、成績が下降。強行出場もたたって17年7、9月場所を連続休場し、大関から陥落した。この年の秋巡業では日馬富士による貴ノ岩暴行事件の現場に居合わせるわ、糖尿病や肝炎に悩まされるわで踏んだり蹴ったり。満足な稽古もできずに休場が続き、ついに序二段にまで落ちてしまった。大関経験者が幕下以下に落ちるのは史上初だ。
■照ノ富士を支えた「本当のタニマチ」
本人も苦悩しており、伊勢ケ浜親方に5回も「引退させてください」と懇願。そのたびに、「まずはケガを治してやってみろ。引退はそれからでも遅くない」と引き留められた。さらに照ノ富士を支えたのが、「本当のタニマチ」だ。大半のタニマチは大関昇進前後に群がり、番付が下がるにつれて去っていった。それでも当初から応援していたタニマチは、序二段に落ちた後も支援を続けていた。
ある親方は「一番喜んでいるのは伊勢ケ浜親方じゃないか」と、こう続ける。
「伊勢ケ浜さんは『立って歩けるうちはケガのうちに入らない』という考えの持ち主。照ノ富士は17年7月場所を左ヒザの半月板損傷で途中休場。当時から左ヒザのケガに苦しんでおり、この場所もロクに稽古もできないまま臨んでいた。カド番の翌9月場所も強行出場したが、結局、ケガを悪化させて休場するハメに。当時から『照ノ富士の実力なら、関脇に落ちても大関特例の10勝をクリアするのは容易。まずは治療に専念させて、大関特例での復帰を目指すべきだ』との声もあった。つまり師匠のハンドリングにも問題があるとみられていただけに、伊勢ケ浜さんとしては気が気じゃなかっただろう」