伊藤智仁の起用を巡る葛藤 キューバ、台湾戦では信頼せず
日本より力に勝るキューバは、89年以降毎年、親善大会を行う中で、左腕を苦手とする傾向があった。ベテラン左腕の渡部勝美(大昭和製紙北海道)から下手投げ右腕の佐藤康弘(プリンスホテル)へつなぎ、目先を変えようと考えた。これは米国にも通用すると踏んで、本番では予選リーグのキューバ戦、米国戦でこの2人を起用した。
91年9月、五輪出場権をかけて戦ったアジア予選では、台湾戦に小桧山雅仁(日本石油→横浜)、韓国戦には杉浦正則(日本生命)に託した。2人のブレーキの利いた変化球が大きな武器になると考えた。過去の国際大会の台湾、韓国戦でそれぞれ試しながら、2人ならやれるという確信を得た。
そんな中で伊藤は、彗星のごとく現れた。12月に千葉・鴨川での代表合宿に合流し、3月のプロアマ交歓試合で初登板。以降の国際試合では自分の球を投げれば打たれないという自信に満ちあふれ、日に日に成長しているのが分かった。
■せめてあと半年あったら…
ただ、五輪時点では、伊藤にエースを託すというところまでの信頼を置くことはできなかった。日本人相手なら杉浦や小桧山よりも結果を残すと考えていた一方で、伊藤はボールもフォームも奇麗すぎると感じていた。器用でリーチが長く、変則的な打ち方をする外国人相手には、杉浦や小桧山の方が投球フォームに癖があって球種も多く、緩急がつかえる分、有効ではないかと考えていた。国際大会での経験も豊富だった。