楽天・黒川内野手 “敵に塩を送った”男のバックグラウンド
「小学校から中学校時代は、自閉症の友達のお世話係を進んで引き受けていました。音楽会や運動会では、いつもその子の隣にいた。本人が『だって俺の言うことしか聞かへんもん』と、どこかうれしそうに話していたことを覚えています。その子とは中学卒業後も関係が続いて、本当は大勢の人が集まったり音が大きい環境が苦手なはずですが、高校3年のセンバツには応援に来てくれた。彼のお母さんは『もし途中でダメになったら引き揚げます』と事前におっしゃっていましたが、最後までじっと試合を見守ってくれたんです。2人の友情を感じて私も胸が熱くなりました」
泉州阪堺ボーイズに所属した中学時代に全国大会を経験。ボーイズリーグのジュニア日本代表「野茂ジャパン」に選出されると、ロサンゼルス遠征で主将を務めた。進学先は智弁和歌山だが、一昨年の夏まで同校を率いた高嶋仁監督(現・同校名誉監督)は、「なんでウチに来てくれたのかな。あのレベルの子は(大阪の強豪校の)大阪桐蔭とか履正社へ進学しますからね。間違えちゃったのかな(笑い)」と、首をかしげる。
その背景にはこんなことがあった。高校時代、大阪・上宮の主将として1993年センバツ制覇、楽天・三木監督の2年先輩にあたる父の洋行さんが言う。